「哀君、新一君はどうじゃったかね」
彼の家から戻り玄関の扉を開けた途端、阿笠博士が心配そうな声で訊いて来た。
「…『いつも通り』よ。朝ご飯食べるって言ってたから、今頃は―――」
そこまで言葉にして、口を噤む。
なぜなら、食事をするということは…台所へ行くということ。
その場での彼の様子は、彼に近しい者ならば誰でも悟って知っているから。
「そう、か…。特にもう明日がイブじゃからのう…」
そう。
あの出来事から明日で3年。
彼にとって、3度目のクリスマス・イブ。
「辛いじゃろうな…」
それはもう2人は仲が良かったから…。
そう言い残し、コーヒー片手に台所へ去っていく博士。
(辛くないはずが無いのよ…!)
それなのに…と、拳を強く握り締める。
嘗ての出来事を思い返し、幾度こうして悔しく怒りに似た激しい感情を湧き立たせたのだろう。
本来…彼のほうが嘆き悲しみ、怒りに震え、泣き叫ぶ立場にある人物。
(…それでも、彼は『いつも通り』、私達に笑うんだわ)
彼と居た、あの時のように。
【 The Last Show ---- A Holy Night 2 ---- 】 |
あの日、あの3年前のクリスマス・イブの朝。
工藤君は【恋人がいつも以上にラブラブする日】にも警察に呼ばれ。
同居人の彼からの盛大なブーイングを受けて『仕方ねぇだろーが!!』と怒鳴り上げ、
終いには纏わりつく同居人の彼を蹴って家を出ていった。
その姿を私は博士と共に眺めていた。
2人の様は単なる痴話喧嘩にしか見えず、その時は私も博士も眺めるだけで、
だから私達は何も言わず、静かに微笑んだ。
当時の事件に関っていた警部の話によると、
その日も彼の手腕は素晴らしかったそうだ。
捜査に行き詰まっていた警察が囲む現場で小さな矛盾点を見つけ、
無事に事件を解決に導いた。
解決後、なんだかそわそわしていた彼に警部がどうしたのかと訊くと、
『早く帰ってやらないとアイツ煩いんですよ』
そう言って、
文句を言うような口調だったけれど…彼は嬉しそうに笑っていたそうだ。
事件後はいつも通り、馴染みの刑事が車で送った。
すっかり暗くなってしまった夜の道路を走る車。
車の中で『同居人の彼の料理の腕』を刑事が誉めると彼はちょっと驚いた後、
『アイツに伝えてやらないと』
嬉しそうに微笑んで、自分の事の様に喜んだそうだ。
その様子を聞いた私は即納得した。
同居人の彼の料理を一番気に入っているのは、工藤君だったから。
家の前に車が着くと彼は思い出した様に一言、
『お借りしていた資料、持ってきますね』
そう言い残し車から降りて、
真っ直ぐ家に入った。
――――その夜、家の中から私はいつまでも発車しない警察の車を見た。
その光景が、私は何故だかとても気になって、
寝間着のまま家を飛び出した。
………何故あんなにも不安に駆られたのか、全てが起こった今なら分かる。
驚いた顔の刑事を問い詰めて話を聞く。
すると、なんてことは無い。資料を取りに行ったというだけの事だった。
安心と共に納得した私は家に戻る為歩き出した。
そこで刑事がポツリと零した呟きが、
耳に届くまで。
『それにしても遅いなぁ…』
その呟きが私の足を引き止めた。
それにしても遅い…と、刑事は呟いたのだ。
資料を取ってくるだけ、いくら広い工藤邸と言えどそう何分も掛からない筈だ。
そして彼は借り物を無くしてしまったり、散乱させたりする人物ではないので探しているという線も有り得ない。
なら、何故こんなにも刑事を待たせているのか。
感じていた不安を漠然とした危機感に変えて、私は工藤邸に飛び込んだ。
――――まず、違和感は玄関。
靴はちゃんと揃えられた2足分。ここはいたって綺麗。
なのに、向こうへと続く広い廊下には、所々に汚れのようなナニカが付着していた。
いつも丹念に掃除している同居人の彼の姿が目に浮ぶ。それなのに、この光景は妙過ぎた。
私の後を追って来た刑事が、コレは一体…?、とうろたえた。
――――次に入ったのは、リビング。
リビングに足を踏み入れた私は、その惨状に言葉を失った。
テーブルは薙ぎ倒され、椅子も数個折れていた。
同居人の彼が生けた花は床に散らばっていて、何度も踏み付けた跡。
…尋常じゃない程に荒された部屋。
その光景に息を飲む刑事を置いて、私は彼と同居人の姿を探した。
争った跡のあるリビングから廊下に続く所々に落ちているのは紛れも無く血痕で、
当人達はかなり激しく争った様子が見て取れた。
おそらく、不審者が侵入したのだろう。
すぐ隣に居たのに…気が付けなかったなんて…!と悔しく思うが、
とにかく今は、彼等を探すのが先決だった。
――――ふと目にした台所。
そこにはコンロに掛けっぱなしの鍋とフライパンが。
流し台には野菜の切り屑が散らばっていて、
さらに温かい鍋物の様子からも、そう長い時間が経っているとは思えず、
希望が見えた、と…私はそう思った。
私は台所を後にすると、
血を辿って廊下から二階へ上がった。
点々と落ちている血痕は、
西側の部屋、同居人の部屋に続いていて、私はその扉を迷う事無く開け放った。
そこには、
『……工藤君…』
開かれた窓の淵に手をかけ、ひとり夜空を見上げる工藤君の姿。
冷えきった冷気が風に乗って流れ込んできて、
私は寒さを思い出し、身震いした。
確かに血痕はこの部屋に続いていた。
そして足元から…部屋の中心を通り…彼の立つ窓へと…
一直線。
『……工藤、君?』
『……』
――――1回目、反応は無かった。
『工藤君!』
『…』
――――2回目も、同様。
ぼーっと立ち尽くした様子の彼に舌打ちして、傍へと駆け寄った。
背の高い彼の手を取って、ぐい、と引っ張った。
『工藤君!どうしたの何があったの?!』
ビクッと身体を震わせた彼は、私の存在にたった今気付いたかのように驚いて、
その表情を笑顔に変えてから私を見た。
『あ、灰原。リビング見たのか?すげぇよな。俺が帰ってきたらもうあんなだったんだぜ』
『工藤君…?』
3回目、ニッコリ笑って答えを返す。憂いなど欠片も無い笑み。
私は驚きと同時に恐怖を感じて、彼の手を一層強く握った。
―――絶対に、この手を離してはいけない。
何故そう思ったのかは分からないが、とにかく私は彼の手を握り続けた。
『そ、そうよ!黒羽君は…?!』
思い出した同居人の事を訊く。
あの所々に落ちていた血。
目の前の彼が怪我をしていないということは、同居人の彼が怪我をしている可能性が高い。
只でさえ同居人の彼は工藤命である。庇って怪我したなんて…似合い過ぎる。
血は窓の淵で途絶えていた。
この部屋の窓の下は玄関の脇。
もし彼が落下していたとしたらこの屋敷に入った時点で気がついてい筈。
けれど、私が入った時、玄関の脇には彼の姿どころか、クッションの1つも落ちてはいなかった。
『………快斗か?』
『そう、黒羽君よ。どこにいるの?』
血痕のことは知っていないはずがないのに。
大事な【彼】が怪我を負っているかもしれないのに。
何故、彼はそんなに落ち着いていられるのだろう。
コレ以上ないほど落ち着いている彼の様子が、なぜだかとても気になった。
彼はそんな私の不安をよそに、
彼は一度部屋の中をぐるりと見やって、
窓の外に遠い視線を投げた後、
私に笑顔を向け、口を開いた。
『アイツ、ドコ行ったんだろうな』
にっこりとした、明るい笑み。
差し込む月光の光が、
彼の笑みと蒼い瞳を、怖いくらい綺麗に照らしていた。
まるで、【彼】がぶらりと散歩に出掛けただけかのように話す彼。
『………く、どうくん』
おそらく、状況を受け入れられず、悪い方へと考える部分の心を閉ざしてしまったのだろうと判断。
私は居た堪れなくなって、顔を伏せた。
私がその場で出来る事は――――ひとつだけだった。
カタカタと震える手で、
彼の手離さないでいる事だけ。
(どうして…こんなことが……!)
―――――それが、3年前のイヴの夜。
何者かとの争いの跡を残し、黒羽君が消えた夜。
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