あの夜の彼の笑顔は、一生忘れられないだろうと哀は思った。






翌日から彼は、自分から積極的に寝て、食べて、笑うようになった。


そう、

彼は『いつも通り』過ごして、『いつも通り』笑って、『いつも通り』食べて…。

『いつも通り』を保ちながら…『いつも通り』彼が帰って来るのを待ち続けるつもりなのだろう。


(あのヒトがいつ帰って来ても、何ひとつ違和感が無いように、必死に…)


辛くない筈か無いのに。

彼は人前では必ず明るく笑う。


笑いながら、

生きているのか、死んでいるのかすら分からない同居人の彼を、

彼は待ち続けている。


その笑顔、その振舞いが…徐々に【彼】へと近付いている事実を、

彼は分かっているのだろうか。



(いいえ…きっと気付いてすらいないわ)



窓から冬の空を見上げて、哀は呟く。

何も言わずに消えた、同居人の彼へ。



「生きてるのなら、さっさと帰ってきなさいよ…!」


【 The Last Show ---- A Holy Night 3 ---- 】
ひとしきり泣いた後。 何も食べる気がしなかったけど無理矢理胃に押し込んで、 冷蔵庫から使い慣れた氷枕を持ち出し、俺はリビングのソファーに仰向けに倒れ込んだ。 腫れて赤い目を隣の彼等に見せるわけにはいかない。 心配させてしまうから。 タオルに包んだ氷枕を顔に当て、湧き上がった想いを必死に押さえ込む。 「つめてー……」 そうしている間に、意識が遠のいていく……… 「こんな所で寝てたら風邪ひくよ?新一」 ハッキリと聞こえた声に、俺は飛び起きる。 「―――――かっ快斗っ?!」 「うん。何?新一」 人懐こい笑顔を浮べる彼。 それに応えようとしたけれど、きっと俺は泣きそうな笑顔を浮かべてしまっているだろう。 「…オレ、オマエに言いたい事があったんだ」 「今、なら聞けるよ?新一」 笑う彼に、ふるふると首を横に振る。 今じゃない。 今言うべき言葉じゃない。 ダメなんだ、 今、 今のオマエは…っ! 『じゃあ、いつならよかったのさ?』 『…………』 『…そう』 その一言と共に彼の気配が消えて――――姿も消えた。 (――――い、やだ…!) 嫌だ、嫌だ、嫌だっ! オレをひとりにするな…! オレを、置いていかないでくれ……!! 「――――――快斗っ!!!」 虚空に伸ばした手を、呆然と眺める。 瞬きを忘れた瞳から涙が一筋零れ落ちる。 また、夢を見た。 俺に何も言わず、何も言わせずに、彼は消えた。 これは何度も見た夢。 それでも彼に会いたくて、俺は夢を見る。 ----------------- 「…今分かる箇所では特に気になるところは無いようね」 不機嫌な顔で彼女か告げる。 あのままぼーっとしていたら隣に行くのが遅れてしまい、俺は慌てて隣に駆け込んだ。 仁王立ちで待ち侘びていた少女。 何をされるか…とドキドキしていたが、 彼女は文句をブツブツ言いながらもちゃんと検査をしてくれた。 「当然だろ?健康な毎日を送ってんだから」 カルテを眺めながら呟いた彼女の言葉にどうだ!と胸を張る。 「それは結構。それで、今日もこれから?」 「ああ」 「ここ連日ね…大丈夫なの?」 「平気だって」 そんなに心配すんなよ。 彼女が前にも増して過保護になっているような気がする。 もしかしたら、内緒で調べ物をしている事がバレているのかもしれない。 顔には出さずに冷や汗を掻きながら、作り笑顔で応対する。 すっかり身に付いてしまったポーカーフェイス。ここ数年で、さらに磨きが掛かっている。 だから、余程な事が無い限り見破れない筈なのだが。 そこまで考えて、いや、と思い直す。 もしかすると、闇に生きてきた彼女にはどんな仮面も通用しないのかもしれない。 思考の隅でいろいろ考える。 心ここにあらずな俺に気が付いたらしい彼女は、深〜くため息を吐いた。 「無茶しないでくれればいいわ…」 「…しねぇよ」 (今は、な) 過保護になる程心配してくれる彼女に心の中で詫びた。 【彼】が俺の前から消えた原因を見つけたら、俺は何をするか分からないから。 これほど俺にとって欠かせない【ヤツ】を、 俺から奪った【ソレ】。 (…まさか俺にこんな感情があるなんてな……) 復讐、を考えるなんて。 きっとその時が来たら俺は考えられる限りの策を尽くして、 『当然の報いだ』と、 少しもためらう事無く実行してしまうだろう。 その為なら俺は―――――― 「…工藤君?」 「―――――え?」 「警察のヒト、来たわよ?あまり待たせちゃ悪いわ」 「―――ああ、ゴメン」 彼女が指し示す先には、彼女の言葉通り馴染みの刑事が困ったように笑みを浮かべていた。 すみませんと謝ってから、俺は刑事と共に車に乗り込んだ。 --------------------- 「工藤君、次は?」 「えっと、2年前のその棚で…そう、4段目。5月分全部下さい」 「あっこんな所に工藤君!」 探したのよー!と部屋に入ってきたのは敏腕の女刑事だった。 俺が今居るのは警視庁の資料室。 捜査中の事件について役立ちそうな資料を親切な刑事と共に漁っていた。 突然現れた刑事に、何の用だろと思いながら笑みを浮かべる。 「こんにちは、佐藤刑事」 「もうとっくに【こんにちは】の時間じゃないわよ」 「…あ、もう21時?」 「えぇーっ?!」 「えぇって、工藤君と一緒に居るアナタが一番気が付くべきなのよ!?」 「スッ、スミマセン!」 「いえ、気が付かなかった僕も悪いので。特に用事も無いですし…」 ちろりと呟いた言葉に反応したのは梯子から降りて来た刑事。 「え、でも明日って…」 イブなんじゃ… 「ほら工藤君!アナタを帰らせないと警部がカンカンに怒るのよ!ほらほらほら」 「わ、え、ちょっ、資料が〜」 ほらほらと部屋から押し出され、引き摺られるように廊下を歩く。 (佐藤刑事……) 彼女の横顔が辛そうに見えるのは、俺の見間違いじゃないだろう。 彼女は俺と快斗の関係を教える前から知っていた。 彼女いわく『誰でも分かるわよ』らしいのだが、その事を知った時、俺は恥ずかしくて暫く顔を上げられなかった。 たまに弁当を引っ提げて事件現場まで現れる快斗を、 にこにこしながら『青春ねぇ〜』と楽しそうに見守っていたのも彼女。 3年前の出来事を、哀と共に目撃したのも彼女だった。 先程の刑事が呟きかけた言葉を遮ったのは、 俺が3年前を思い出してしまうと思ったからだろう。 街に出ればどこでも聞く言葉なのに。 …とも思うことだが、俺は彼女の優しさと気遣いに感謝した。 ―――俺の隣に居た『快斗』を、今も変らず忘れないでいてくれる彼女に。 「目暮警部!工藤君見つけました!」 「おお!よくやった!さぁ送っていくよ工藤君!」 「い、いいですよ今ならまだバスありますし。お忙しいでしょう?」 「駄目だ!君に何かあったら私達が……っ」 ガタガタと震えだす警部。 良く見れば周りの刑事達も同じ様に強張った表情で震えている。 普段は凶悪犯罪を相手にしている彼等が、こんなに震える原因って…。 「へ?」 「とにかく送っていくから!ね?!ほらほら乗ったー!」 堪らない、といった様子で飛び出してきた高木刑事に荷物の如く軽々抱え上げられ(俺ってそんなに軽いのか…?)捜査1課の部屋から問答無用で出される俺。 「わ、え、ちょ!」 木刑事の背中をさかさまでみる状態になっている俺は、 血が頭に!と気合で起き上がり、 「……っふぅ…」 なんとか木刑事の肩の上に腹を置いた状態で平行を保つことに成功した。 俺が背中でじたばたしているその間も、木刑事は駐車場の方へ一心に走っていく。 逆らわない方が良さそうだ、と悟った俺は大人しくしていようと心に決めた。 「……」 通り過ぎて行く数々の部屋を眺め、その一部に捜査2課という文字を見つけた。 その開いていた扉から喧々囂々と聞こえる声を、俺の耳は自然と拾っていた。 『…怪…キッド…告状が…』 『暗号…でいう…は…明日…』 『……………』 『今度こそ捕まえてやるぞ!!』 『おおー!!』 「…怪盗キッドだって?」 「ああ、3年ぶりに予告状が来たんだってさ。2課の人達大騒ぎだよ」 どこか嬉しそうだけどね。 「…ですか」 「白馬君は熱心に追っているけど…」 「僕は泥棒に全く興味無いんで」 「あ、でも快斗君はファンだったよね……っご、めん!」 失言だったと必死に詫びる木刑事がなんだか可笑しい。 彼には見えないが、俺は笑みを浮かべて浮んだ疑問をぶつけてみる。 「なんだか佐藤刑事といい木刑事といい、アイツを勝手に『殺し』てませんか?」 「……工藤君…」 「アイツは『消え』ただけ。まだ何処かで快斗は生きている。そして僕はソレを探し出す…」 「…さすがだな、工藤君は」 どこか悲しげな声音をする木刑事に、俺は微笑んだ。 「……僕は探偵、それだけです」